出来ない理由は分かった、だから?
この部屋は暖かいですが、外は(社会は)まだまだ吹雪です。部屋の中では、外の寒さは分かりません。
今日、営業の報告を聞いて思ったことがあります。「・・・できませんでした。」「・・だめでした。」と良く聞きますが、何故次の「だから・・こうする」という発想、コメントがでないのが不思議です。だめな理由を捜して結果にしないで欲しい。もうひとつ準備(予測)できたものを、せずに、それがダメの理由になることがおかしいのではないかと思います。ビジネス社会の「報告」とはだめな理由を話して、スミマセンで終わるものではないはずです。「だからこうする」をコメントできないのは、準備ができていないということです。
準備ができないということは、自らの「問い」がないということです。「問いは、答えを導くための数式である」といいます。
「問い」と「問い」を、解決に向け、筋道立てて配列する力、組み立てる力が必要なんだ。そして、最終的にどうしたらよいか分からなければ、聞きにきてでも良いと思う。そして効率を考えるならば、自分が出来ないことが分かれば出来る人を捜すべきだ。
そしてそのためにも、誰がなにを出来るか知っておかなければならないでしょう。やはりこれも準備が必要なんだと思います。ドラッガー博士も喩えているように、パンの半分は「半分のパン」として役に立つかも知れないが、問題が、赤ん坊だったら半分にはできません。「この赤ん坊は8割の赤ん坊に見えます」といえないでしょう。
ここは妥協できないところです。営業の目標はそれと同じです。
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