10周年・・・
こんな話があります。
ある朝早く、1人の男が打ち寄せる波を見ながら海岸を歩いていると、数えくれないくらいのヒトデが砂浜に打ち上げられて日干しになって死にかけていることに気がついた。その異様な光景にしばし呆然としていると、ふと遠くの方で若い女が1つ、ひとつそのヒトデを拾い上げては海に向かって、投げ返している姿が目に入る。
男はその女のところまで近づいていき、こう声をかけた。「そんなことしたって時間の無駄じゃないか、こんなにたくさんのヒトデがあるのに、そんなことしていったい何の意味があるんだい?」
するとその女は足下にあったヒトデを1つ拾い上げると思いっきり海に投げ返し、「あのヒトデにとっては意味があったわ」と言ってさらに足下にある別のヒトデに手を伸ばした。
どうして、この話かというと、今年で当社は10周年を迎えた。10年は私の中でも最も意識した節目でもあった。何かしたかった。今までお世話になった人たち、今まで弊社に関わった人たちに集まってもらって感謝祭の形でのパーティ等・・あれやこれや考えているとき、たまたまベトナムに視察旅行に行った際に偶然、行きにも帰りにも同じになったお取引先の社長から「国際人権ネットワーク」の話を聞き、日を改めカンボジアにあるモンドルバイ村の子供達に会いに行くことになった。その村の生活ははっきり言ってとても貧しい、そのうえ不幸にも地雷によって足のない子や、手のない人達が沢山いた。でも、「貧しい」「不幸」という概念は、一方的に私の価値基準でしかないことも気づいた。彼らは自分たちのことを貧しいなんて思っていないのだ。なぜなら彼らは自分たちを比較する対象を知らない、情報が一切ないから・・。
それはとても不思議な感情だった。子供達は、人なつっこく、その目は活き活きとしていて、私が今だかって見たこともない輝きをもっていた。それはそれは美しい目だった。そして、彼らは学びたがっていた。本当にそう感じた。でも校舎が足りない。
そこで自分にできることは何か?と考えた。心底考えた。10年間お世話になった方々への感謝の念を、この子たちのために使おうと決めた。「恩返し」ではなく「恩送り」という言葉がある。映画の「ペイフォワード」と同じ意味だ。今使おうと思ったお金は「校舎建設」。確実に彼らの希望になる、生きたお金になる確信がある。偽善者ともし呼ばれようともそれは確実に「支援する事実」に意味がある。
前述のヒトデの話とはそういうことだ。社会にこういうお役立ちができるようになったのも、あらためて10年間本当にお世話になった方々のおかげだと万感を込めて、感謝の意を表したい。
萬謝!
カテゴリ一覧へ